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32.ついに迎えたその日

Author: 杵島 灯
last update Last Updated: 2025-06-24 16:55:52

 ジゼルには「ライナーに喜んでもらえる」という自信があった。

 なにしろ『菜の花の女性』に関する仕度は万全の状態にしてあるのだ。

 部屋や調度は可能な限り綺麗にしたし、『菜の花の女性』近くに仕えさせるための優秀な人材も選んである。

 花の国がどんなに頑張ろうとも、豊かな帝国から来る『菜の花の女性』にとってはすべてが貧弱に見えるかもしれないが、そのぶんは精一杯のもてなしで補ってみせるつもりでいた。

(彼女の好みが分かれば、もっと良かったのだけれどね)

 残念ながら、国をあけているあいだのライナーからは何の連絡もなかった。細やかな気遣いのできる彼にしては妙なことだが、帝国は遠いから仕方ない。

 最終的にジゼルは『菜の花の女性』と話したときに好みを聞き、そのあとにできるかぎりの品を誂えようと考えていた。

(さあ、ライナーが城に到着するまであとどのくらいかしら。ライナーと……『菜の花の女性』は)

 胸の奥ではライナーへの想いを捨てきれない自分が未だ大きな声で泣いているけれど、この悲しみもいずれは癒えるはずだ。何十年もあとに迎えるであろう自分の最期のときには自分の選択を誇りに思って逝けるはず。

 自室のジゼルが茜色をした空を見ながらそう考えたときだった。

 廊下の方がにわかに慌ただしくなり、性急なノックの音がする。

 もしかすると、と思いながら返事をすると、開かれた扉の向こうには召使たちがいた。想像以上に数が多いのは、ジゼルの侍女たちのほかに父の老臣やライナーの召使たちもいるせいだ。その中の一人、ジゼルの侍女頭が進み出て頭を下げる。彼女の表情には多大な焦りがあった。

「女王陛下。実は」

「|義姉様《ねえさま》」

 艶のある低い声が侍女の声に被さったかと思うと、召使たちがさっと道を開ける。

 現れたのは黒い髪の青年だった。

 彼が着ているのはこの国の騎士服だ。肩章と縁取りの刺繍以外はシンプルな――と言えば聞こえはいいが、要は「あまり余裕のない小さな国が、できるだけ金額をかけずに作った白い騎士服」。しかしそのぶんだけ、襟元に飾られた黄金の菜の花が人目を引く。

 そうして、彼の横には女性がいた。

 顔はベールに隠れて窺えないが、優雅な物腰は身分の高い家の出自であることを想像させる。

 彼女が着ているのは、今しがたジゼルが見ていた空のようなオレンジ色のドレスだった。フリルやレースを
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